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カンボジアの対日関係

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2国間関係

日本とカンボジアの関係は1603年正月、徳川家康が当時の国王に通商(朱印船制度創設)に関する書簡を発出したことに始まる。カンボジアからも国書が送られ、以来、日本商船の渡航が頻繁となるとともにカンボジアに居留する日本人が増え、プノンペンとポニャールー村付近(カンダール州)の2カ所に日本人町が形成された。

朱印船(荒木船)

1951年9月のサンフランシスコ対日講和会議に、カンボジアはフランス連合内の協同国として参加。署名後にカンボジア側より日本に対して外交関係開設の申し入れかあり、シハヌーク国王が独立十字軍運動のため日本を訪問、外交自主権を回復した日本にとって非公式とはいえ最初のアジアからの国王来訪となった。

1953年11月9日、カンボジアはフランスより完全独立を達成し、日本との外交関係樹立過程をさらに進め、1954年に公使館開設し、同年11月にはカンボジアが在カンボジア日本公使館に対し、第二次世界大戦中の旧日本軍のカンボジア進駐による被害にかかわる対日賠償請求権を放棄する旨を通報。翌12月、日本はカンボジアの行為に報いるため、経済・技術面での協力を提供する用意があることを通報した。1955年2月、双方の公使館を同時に大使館に昇格させた。

1975年4月5日にはカンボジア内戦により日本大使館を閉鎖したが、1990年6月に20年に及ぶ内戦の終結を目指し、東京でカンボジア各派が参加する和平に向けた直接対話の場として「カンボジアに関する東京会議」を開催。1991年10月23日にはカンボジア和平パリ協定が開催され、最終合意では国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の設置や制憲議会選挙の実施などが取り決められ19ヵ国による調印式が行われた。日本が国際的紛争の和平協定に署名したのは、第一次世界大戦終了を宣言するベルサイユ条約への署名以来70年ぶりの出来事であった。

1992年3月、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が発足し、明石康国連事務総長特別代表が着任して国連による平和維持活動が開始、同月25日、日本政府代表部は正式に在カンボジア日本国大使館に再昇格した。

1996年7月には東京で第1回支援国会合(議長は日本・世銀)が開催され、カンボジア政府の1996年対外資金必要額にほぼ一致する5億ドルの支援を表明するなど、日本は一貫してカンボジアの最大援助国として開発を支援している。

2006年2月21日には日本の無償資金協力により完成した「日本・カンボジア人材育成センター」の開所式をフン・セン首相出席の下で行った。同センターの主な活動は、両国の相互理解を促進するための交流事業、カンボジアの市場経済化を促進する人材の育成で、両国間の友好関係の更なる促進に寄与することが期待されている。

2008年は日本・カンボジア外交関係樹立55周年、2010年には日本・カンボジア友好条約調印55周年、2013年12月には両国関係を戦略的パートナーシップに格上げした。

◉在留邦人数は2014年10月現在2,270人(永住66人、長期滞在2,204人)
◉在日カンボジア人数は2014年6月時点、入管統計で3,436人

◉プノンペン日本人学校
2015年4月、プノンペン日本人学校が開校した。日系企業はカンボジア商業省の登録ベースで1,000社に達しており、在留邦人が2,300人を超え、家族を同伴して赴任するケースが増えてきたことに対応するもので、世界各地の日本人学校としては89番目になる。

◉要人往来
日本からカンボジアへ
2012年6月 皇太子殿下、7月 玄葉外相、11月 野田総理
2013年2月 秋篠宮殿下、11月 安倍総理
2014年6月 岸田外相
2018年4月 河野外相

カンボジアから日本へ
2012年1月 ヘン・サムリン下院議長、4月 フン・セン首相(17度目)
2013年12月 フン・セン首相(日ASEAN特別首脳会議、実賓)
2015年3月 フン・セン首相(国際防災世界会議)
2015年7月 フン・セン首相(日・メコン首脳会議、20回目の訪日)
2017年8月 フン・セン首相
2018年5月 ハオ・ナムホン副首相
2018年9月 プラック・ソコン副首相兼外務国際協力大臣

出典:ARC国別情勢研究会
「ARCレポート - 経済・貿易・産業報告書 - 2016/17 カンボジア」

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